簿価計上されている資本を時価評価するものとしての純資産倍率

簿価計上されている資本を時価評価するものとしての純資産倍率

森本紀行
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<毎週木曜日 11:30更新>

純資産倍率が1を大きく下回る企業は、投資家から、企業価値の成長期待をもてない、過大資本である、純資産の簿価計上が過大であると評価されているわけで、確かに問題ではあります。
 
 企業とは、第一に、事業資産を保有し、それを稼働させて、現金を創造する装置であり、第二に、事業資産の保有と稼働のために、資金を調達する容器であり、第三に、装置で創造され、容器に貯められた現金を資金提供者に分配していく仕組みです。
 企業の貸借対照表は、向かって左に、事業資産の保有状況を記載し、右に、資金の調達状況を記載していて、左右は、同金額で、常に一致しています。創造された現金は、分配の仕組みを通じて外部に流出しますが、分配されない残余の現金は、現金も資産ですから、左側を増加させ、同時に、将来的に資金提供者に分配されるべき留保金として、右側を増加させるので、左右の一致は、常に保たれるのです。
 企業会計は、こうした現金の異動を記録する手続きであって、会計上の貸借対照表には、企業の発足以来、現金の調達と分配が繰り返されてきた結果である残余の現金について、左側には、事業資産への展開状況が記載され、右側には、将来において分配される原資として、資金提供者への帰属状況が記載されているわけです。つまり、貸借対照表は、現金異動の過去の歴史の到達点なのです。
 
では、過去の結果である貸借対照表は、企業価値とは関係がないのでしょうか。
 
 企業価値とは、貸借対照表の左側において、企業が事業資産を稼働させて創造する将来の現金の現在価値であり、同時に、貸借対照表の右側において、企業が資金提供者に分配する将来の現金、および内部留保として資金提供者に帰属させる将来の現金の現在価値になります。故に、当然に、企業価値は、貸借対照表の構造に規定されていますが、企業価値の大きさは、貸借対照表とは関係しません。
 貸借対照表は、現金異動の歴史的経緯を記録したもので、そこにある数値は、簿価、即ち、記録上の値です。それに対して、企業価値は、将来に向かっての企業の現金創造能力に関して、市場で成立している評価額ですから、時価です。当然に、時価は、簿価とは無関係に決まるわけです。なお、ここで市場というのは、株式市場、即ち、企業の発行する株式が企業価値に基づいて取引される市場です。
 
時価の簿価に対する比率が、純資産倍率ですか。
 
 資金提供者のもつ現金の分配を受ける権利には、優先順位の異なる種類があって、各種類の構成比は資本構成と呼ばれます。資本という用語は、様々に使われていて、最広義には、資本構成における資本のように、調達資金の全体を指し、最狭義には、資本構成の最下位である普通株式を指します。一般に、株式といえば、この普通株式のことです。なお、便宜的に、資本構成の株式以外の部分を負債等と呼んでおきます。
 株式価値は、株式に分配される将来の現金の現在価値ですが、定義により、企業価値から、負債等に分配される将来の現金の現在価値を控除したものになります。しかし、より正確にいえば、企業価値が先に決まるのではなく、株式が市場で取引され、株価が形成されて、株式の時価総額として、株式価値が先に決まり、そこに負債等の現在価値を加えることで、企業価値が後で決まるのです。
 簿価としての株式価値は、貸借対照表の株式の部に記載されている金額ですが、普通は、純資産と呼ばれています。なぜなら、貸借対照表の総額は、左側に着目するときは、総資産と呼ばれますが、右に目を移して、総資産から負債等の簿価を控除すれば、純資産が得られて、当然のことながら、それは株式の簿価に一致するからです。
 純資産倍率(price to book-value ratio、PBR)とは、株式の時価を簿価で除した値、より具体的には、時価総額を純資産で除した値です。純資産倍率は様々に解釈され得ますが、その値が1であるとすれば、過去の事実としての現金創造の結果と、将来への評価としての現金創造の期待とが一致しているのですから、企業価値は、成長も衰退も期待されないなかで、安定的に持続すると期待されているわけです。
 
持続のなかに、資本コストの安定的な実現があるわけですか。
 
 どのような事業を企業が営もうとも、事業には、程度の差こそあれ、不確実性、即ち、損失の発生する可能性があるので、企業は株式を発行しているのです。つまり、株式の発行によって調達されるのは、資本という性格をもった資金であって、資本には一時的に損失を吸収する機能があるわけです。
 資本は、いわば、損失の発生という危険に対して、保険を提供していて、当然に、保険料に該当する対価、即ち、資本コスト(cost of capital)を要求しますから、企業にとって、資本コストの絶対額を管理することが重要になります。そこで、自己の営む事業の不確実性の程度に応じて、資本の量を適切に維持するために、資本構成における株式の比率を最適に保っているわけです。
 資金調達をする企業にとっての資本コストは、資金供給する株式への投資家にとっての利益です。純資産倍率が1であるときに、企業は、最適資本構成のもとで、資本コストに見合う現金を創造して、株式に帰属させることで、株主、即ち、資本の提供者に対して、適正な利益を還元するという責務を立派に果たしているわけです。株主からすれば、こうした状態にある企業に投資することが基本なのです。
 
純資産倍率が1を超えている企業は、企業価値が成長しているのでしょうか。
 
 純資産倍率が1を超えているときは、過去の事実としての企業価値よりも、将来への評価としての企業価値が大きいのですから、企業価値の成長が期待されていると考えられますが、より正確に表現すれば、株式市場において、平均的期待として、企業価値の成長が織り込まれるとき、株価が一株当たり純資産よりも高いところで形成されて、純資産倍率が1を超えるということです。
 しかし、実際には、こうして一般的に説明し得る場合のほかに、個別の企業についてみれば、様々な特殊な理由で、純資産倍率が1を超えていると考えられます。例えば、過小資本という事態があり得て、典型的には、業績不振により損失が累増していけば、純資産は減少していきますが、時価総額は必ずしも連動して低下していくとは限らないので、純資産倍率が1を超えるわけです。
 あるいは、純資産の過小評価もあり得ます。企業の保有する資産は、貸借対照表上に簿価で計上されていますが、資産の時価が簿価よりも高いときには、差額としての含み益があるわけで、株式市場において、その含み益が評価されて、株価が形成されていれば、純資産倍率は1を超えます。実際、昭和のバブル期には、不動産の含み益は、株価形成の重要な要因だったのです。
 
純資産倍率が1を下回っているとき、何が問題なのでしょうか。
 
 純資産倍率が1を超えているときに原因とされることについて、正反対の事態が生じていれば、純資産倍率は1を下回る理屈であって、より具体的にいえば、株式市場での株価形成において、企業価値の成長について期待をもてない、過大資本である、純資産の簿価が過大に計上されているとの投資家の評価が成立しているとき、株価が低迷して、純資産倍率が1を下回るということです。
 
企業は、1を下回った純資産倍率について、是正すべきなのでしょうか。
 
 株価は、企業の良い面、悪い面の全てを織り込んで形成される市場の平均的評価として、理論上は、安くもなく、高くもない適正値です。純資産倍率は、株価によって規定されるものですから、株価と同じように、1でも、1以上でも、1以下でも、水準に関係なく、適正なのです。つまり、株式には、株価や純資産倍率の水準に関係なく、どの水準においても、その水準に応じた適正な価値があるわけです。
 しかし、純資産倍率が1を下回っている企業については、それが是正されれば、株価が上昇すると期待されることから、様々な議論が生じて、是正するための具体的な手法がある場合には、実際に、その手法が実行に移されています。例えば、企業価値の成長余地の小さいことについては、創業家等による非公開化があり、過剰資本については、配当や自社株買いによる事実上の減資があるわけです。
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(文責:加藤)

次回更新は、8月1日(木)になります。
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森本紀行

森本紀行(もりもとのりゆき)

HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長

東京大学文学部哲学科卒業。ファンドマネジャーとして三井生命(現大樹生命)の年金資産運用業務を経験したのち、1990年1月ワイアット(現ウィリス・タワーズワトソン)に入社。日本初の事業として、企業年金基金等の機関投資家向け投資コンサルティング事業を立ち上げる。年金資産運用の自由化の中で、新しい投資のアイディアを次々に導入して、業容を拡大する。2002年11月、HCアセットマネジメントを設立、全世界の投資のタレントを発掘して運用委託するという、全く新しいタイプの資産運用事業を始める。